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本来あるべき、「国民の祝日」へ 〜建国記念の日に思う〜

本日2月11日は「建国記念の日」です。

言うなれば日本国の誕生日であり、大切な祝日であります。

 

今日、平成28年(皇紀2676年)の「建国記念の日」は心静かに我が国の弥栄を祈りたかったので、神武天皇とも縁の深い奈良県天理市にある石上神宮へ参拝してきました。

 

私は「祝祭日の正常化が日本再建の第一歩となる」という考えのもと、根拠が無くただの休日と化してしまうこと明らかな「山の日」(8月11日/今年から祝日)制定に対する反対運動など、国会議員時代も微力ながら活動してきました。

 

国会で共に祝祭日の正常化を訴えた同志の田沼隆志前衆議院議員が、「建国記念の日」について地元新聞のインタビューに応えた記事を送ってくれ、私も全く同感なので以下に転載(斜体部分)します。ぜひご一読ください。

 

▼「建国記念の日」は、戦前は「紀元節」といわれた。
紀元前660年に、初代天皇、神武天皇が即位した日として、祝日に定められていた。
この日は日本建国の日として、宮中でも全国の神社でも紀元節祭が行われ、国民こぞってお祝いをする日だった。
アメリカの独立記念日や中国の国慶節と同様である。

▼戦後GHQは、日本が二度と歯向かうことのないよう、数々の日本弱体化政策を実施した。
憲法の押し付けは有名だが、実は祝日も、根本的に変更されてしまった。
戦前の祝日は、皇室祭祀に則っており、皇室祭祀は主に神道に則っていた。
神道は日本人の習俗そのものである。
つまり、戦前の祝日は、日本人の暮らしに根付いていた。
だからこそGHQは、日本文化を骨抜きにするため、祝日を狙った。

▼かつての祝祭日は、その全てが、占領時代に改められ、例えば「文化の日」「勤労感謝の日」など、神道や皇室祭祀とは全く無縁のものに変更されてしまった。
その変更の最たるものが2月11日の廃止だった。
当時世論調査で、紀元節存続を求める声が8割を超えており、法案にも「建国の日」として盛り込まれていたにも関わらず、GHQの意向により、2月11日は祝日から削除された。
敗戦に伴う悲劇だった。

▼占領終了後、「建国記念の日・紀元節」復活を求める動きが始まり、昭和41年にようやく「建国記念の日」が制定された。
この間20年近く、日本は、建国を祝う日を持たない、世界的に見ても異常な国だったのである。
その意味で、2月11日が祝日として無事復活したことは本当に尊く、国民こぞってお祝いしたい大切な日だ。

▼しかし、この復活の過程で、祝日本来の趣旨が希薄となったことを、私は大変懸念している。
祝日法では建国記念の日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを趣旨としている。
しかし、神武建国について触れていないこの説明では、なぜ2月11日なのかがわからない。
加えて、この日を祝う政府・行政主催式典がないばかりか、民間の式典も一部有志にとどまり、本来の趣旨が国民全員に浸透しているとはとても言えない状況にある。
結果、日本という国が現在まで存続できていることがいかに尊いかを理解することができない。

▼日本は、公称2600年以上の歴史を持つ、現存する国の中では、世界一歴史のある国 (記録の残っている聖徳太子の時代から数えても世界最古)である。
日本の次に古いデンマークも歴史は1000年くらい。
中国四千年の歴史というが、現在の中華人民共和国は70年程度しかない。
日本は誇るべき、世界最古の国なのである。2月11日は、建国以来脈々と受け継がれてきた日本の神話や伝統、先祖の血のにじむような努力の歴史に思いを馳せ、真に「国を愛する心を養う」日となることを、私は心から願っている。

 

私も全く同じ思いです。

残念なことに我が国では、この大切な日を祝うための政府・自治体主催の記念式典がいまだ全国どこにも存在しません。

 

世界中で当たり前に行われているように、自国の誕生を国・地域を挙げて祝うことができる2月11日が来ることを目指して、一歩ずつですがこれからも活動を続けてまいります。